外遊帳 2013 夏

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9月28日(土) 足が痛いので飯を作っていた。

娘がマラソン大会のために朝練習をするという。
それは、それでやる気があって素晴らしいというか、勝手にせいということなのだが、問題は、俺にも一緒に走れっていうことなんだよ。

普段5時半ごろ起きて出勤するのだが、それを5時にしなければならないのも嫌だ。それでも、しぶしぶ娘に付き合うことにした。付き合うことにしたって言うか、この記事を書いている現在は、すでに大会も終わり、朝のジョギングも無事終了している。娘は割と満足の行く順位だったようで、めでたしめでたしなのだが、「これからも朝走るの続けない?」などと、不吉なことを言っている。その不吉な訴えを私は聞こえないふりをしている。

毎朝のジョギングのせいか(と言っても、たった2,5kmなのだが)、先週の黒岳登山のせいなのか知らないが、週の中ごろから、足の古傷がひどく痛みだした。
10数年前にボキボキと数か所折れた足首は、今なお何かの拍子に痛みだし、1か月ぐらい痛みが続くこともあるし、2、3日で予兆もなく突然治ったりということもある、なんだか先の読めない腐れ足首なのだ。

で、前置きが長くなったが、そんな腐れ足首のせいで、釣りに行くことも山に登ることも、キノコを取りに行くこともできない。しょうがないのでダラダラな週末ということに決定した。ジョギングにせよ、なんにせよ、最近はしぶしぶとか、しょうがないとか煮え切らない文章が多いが、それは、きっと中年病なのだろうな。まあ、庭でとれた大量のシシリアンルージュと中玉トマトがあるので、それを片づけることにしよう。


フライパンで山盛り2回分のソースができた。

1回は湯むきをして、もう1回は皮をむかずにミキサーにかけて、ザルで濾した。皮や皮付近に旨味があるので皮ごとミキサーにかける方が美味いというが、今回は、味の違いが私にはわからなかった。


ソースはシシリアンルージュで、トッピングのトマトは中玉トマト

シシリアンルージュは熱を加えてオリーブオイルと混ざるとねっとりとした食感になる。中玉トマトは甘みが強いので酸味のあるトマトソースと味がだいぶ違う。一皿に使うと、そのコントラストが面白美味いのだ。


トマトのブルスケッタ

作り方。
湯むきしたトマトと適当に刻み、オリーブオイル、ニンニク、パルミジャーノ・レッジャーノ、塩、胡椒、バジルを混ぜて冷蔵庫で冷やす。トーストしたフランスパンにマスカルポーネをぬった上にソレを乗せて食べる。
簡単で美味いが、ブルスケッタって何だ。


同僚に貰ったジェノベーゼソースを乗せても美味い。何だかリッチな朝食となった。


トマトソースとチーズの鍋

夜は、前の日の鍋が結構残っていたので、残りのトマトソースを投入してトマト鍋にした。冷蔵庫にあるもの適当に入れたけれど、これも美味かった。

夕方、犬を散歩させている時も足はだいぶ痛かったのだが、ちょっと犬とじゃれて走ったら、カポッと何かがはまったような感じで痛みが軽くなった。どうなっているんだ私の足。


翌日の日曜。痛みもないので近くの公園に家族と犬を連れて行った。

あ〜あ、最初から足が痛くなかったら、したかったことあったのになあ〜。


9月23日(月) 黒岳

3連休に仕事は入っていなかったが、土曜日の夜に22歳の美人が3人もウチに呑みに来たものだから、いい調子に酔っぱらって、日曜日を潰してしまった。
晴天の日曜日を潰してしまった後ろめたさから、次の日は未明に家を飛び出し、層雲峡まで走った。


三国峠で美しい日の出を迎えた。雲海の上は雲がなかった。あたりまえ?

層雲峡ロープウェイに6時20分に乗り込み、リフトに乗り継ぐと、大雪山黒岳の7合目に到着する。
12月に来てスキーをしたことがあるが、それは20年近く前のことだ。

紅葉は思っていたほどは綺麗ではなかったが、早朝のリフト以外は寒くなく、快適に頂上まで歩いた。
1時間ほどで頂上に着き、ちょっとだけ見晴らしを堪能したのち、少し歩いて岩場でナキウサギやシマリスの写真を撮ったり、近くの桂月山に登ったりした。
午前中は雲ひとつない晴天で、半袖になっても汗ばむほどであった。
ナキウサギは数回しか見ることができなかったが、シマリスはそこいらじゅうを走り回っていた。


1時間登れば、この景色を見られるって、すごいことだなあ。


午前中は、何度か姿を見せてくれた。


普段はこんなに可愛いシマリスだけれど。こんな顔であらわられると、吹き出してしまう
   ↓
   ↓
   ↓
   ↓
   ↓
   ↓


衝撃的(笑)

14時ごろ黒岳頂上を後にした。



次は、チングルマが咲いている時期に、家族と来ようと思った。

8月17日(土) 川遊び

先日釣ったカラフトマスは、様々な料理となって我々家族や親せき、お客さんの胃袋に収まった。
中でも今年ヒットだと思ったのが、白子の味噌漬けだった。
身の味噌漬けや、卵の味噌漬けはいつもやるのだが、白子でやるのは初めてだった。

酒や砂糖や味醂などを適当に混ぜて伸ばした味噌に漬け込んだ白子を魚焼き器で焼くだけなのだが、くせがなくて食べやすい。
漬け込んだ次の日も美味かったが、漬けてから4,5日たったものが不思議な食感で良かった。
これまで白子はおろしポン酢で食べるか、ニンニクバター炒めで食べるか、みそ汁など汁ものに入れるかだったが、どれもたくさん食べると飽きてしまってダメだったが、これなら一人1片(ひとはらの半分)くらいならすぐに食べられる。日持ちするのも良い。
羅臼の港で捌く時、白子は大部分カモメにやってしまっていたが、次はみんな持ち帰ろうと思った。


酒のつまみに最高だ。なんか、かまぼこみたいな食感です。

さて、毎年キャンプに行っている川に、午後から遊びに行った。
少し雨が降る予定だったし、最高気温でも25℃くらいだったので川遊びという天候ではなかったのだが、娘たちがどうしてもというので、しぶしぶ行ったのだ。



ポリ艇を娘に漕がしたのは初めてだ。雨の中、そこそこ上手に操った。

それでも遊び始めれば、結構長い間泳いだり、カヤックに乗ったりして時間がすぐに過ぎた。
驚いたのは、犬が自在に川を泳いでいたことだ。
昨年は、私たち飼い主が対岸に渡ってしまった時などに、どうしても我々についてきたくてしょうが無くなった時だけ、無理をして泳ぐという感じだったのだが、今年は移動の手段として悠々と泳いでいた。この先、この犬と水辺で遊ぶ楽しみが増えた。


泳ぎまくって、その後はずっと震えたいた。

ところで、この夏、私は2台のメカを購入した。



一つは、コレ↑で、もう一つはコレ↓ これでぼくも携帯をラケットがわりにして卓球ができる。 


↑については、円安での値上げ後の購入となってしまって悔しい。アベノミクスが何なのかは私にはようわからんが、少なくとも、まあきち家にとっては、マイナスなことしかないあるよ。




8月12日(月) 荒天の中、カラフトマス好漁

この日から3日間年休をとっていた。家族とゆっくりすごそうかなあとも思っていたのだが(ホントです。ホントだったよなあ。)、娘がスイミングの集中コースなるものをとっているとのことなので、体が空いた。
11日の昼ごろに、羅臼の渡船に電話して状況を聞くと、明日ならまだ予約は3名だけ、先端ならまあまあ釣れているとの情報。こりゃ行くしかないっしょ!と、即座に予約を入れた。

電話後釣り具屋に走ったり、シングルフックを巻いたり、包丁を研いだりして(とらぬ狸の皮算用だね)準備をして、夕飯後出撃。現地到着は12日の2時前であった。

天気予報では、雨がぱらつく程度という予報だったが、終日雨が降っていて、風もあり、荒れ模様だった。
乗船は結局直前に6名という団体が入って増えたが、その人たちは、手前のモイルスを選択したので結局、、先端には私を含めて4名だった。

この時期に4名というのはラッキーと言うほかない。こりゃ貰ったでしょとそわそわしながら、船を下りて滝の流れ出しまで岩場を急いだ。


広い釣り場で、伸び伸びと釣りをすることができたことが、何よりだった。


去年までと網の位置が変わっているが、昨日もこの釣り場に入ったという方に情報を貰って、とりあえずルアーを投げ込んだ。良い時なら数投で魚は反応するはずだ。
ところが、5投しても10投しても一向に魚のアタリがない。ルアーを変え、ポイントを変えながら30分しても、一度もアタリがない。魚の気配もない。分厚い雲に覆われて、辺りは薄暗いし、波も結構あるから、多少もじりなどあっても見えにくいのではあるけれど・・・。

それでも、まわりがポツラポツラ釣れ出した頃、私にも最初の魚が掛った。無事にとりこむと、この時期らしい銀色の綺麗な魚体であった。この後すぐにもう一度ヒットするが、それはとり込み途中でバラシテしまった。これは連発か?と思いきや、その後が続かない。


最初の魚は、7gにタコベイト付きというスプーンでキャッチした。

近くでやっている人に、話を聞くと、「12gの銀色のスプーンを使っていますが・・・」とおっしゃるので、よーし、それなら俺もと自分のぶら下げているルアーを見ると、12gの銀色スプーンだった。「こりゃ、ウデだな。」と悲しい気持ちになりつつ魚を探そうとちょっと歩き、ふとそのぶら下げているスプーンを見ると、なんとフックがついていない。いつとれたのか、かみ合わせの悪いスプリットリングからフックに付けているより糸が抜けてしまっていたのだ。ははは。こりゃ釣れるわけないな。なんて魚と環境に優しいボク。。。

気を取り直して、フックを付けてしばらくすると、次の魚が釣れた。そして、それからはコンスタントに魚が釣れ続けた。どうやら魚がたまりやすい地形になっているようで、アタリがしばらく止まっていても、ほんの10分、20分すると、また別の群れが入ってくる。そして、そのどれもがでかい。

でかいフレッシュなオスの引きは凄まじい。喰った直後からダッシュし、ドラグを引きだし、沖へ左右へとすごいスピードで走りまくる。この引きを味わいたくて毎年ここへ来ているのだ。


沖に一気に走る。ドラグが鳴る。ロッドを脇に挟んで腰を入れてただ耐える。

でかいのが次々掛るものだから、腕が疲れて、後半からはもうでかいのはいいやと思うほどであった。しかし、次は卵めあてのメスが掛って欲しいと思っても、かかるほとんどが60cmUPのオスだった。スレで釣れた1尾は少し色のついたメスだったから、きっとそのあたりではギンギラギンのオスの方が断然やる気があり、ルアーを素早く見つけて先にヒットしてしまうのではないかなと想像したりした。
引きを味わいたいとは言え、その強烈な引きであちらこちらに走り回る上に、波もあるものだから、取り込むのが大変で、その最中にラインを痛めてしまうようだ。何本かとファイトすると、その後必ず「ブッ」とアワセたり、ファイトの何でもない瞬間にラインが切れてしまうのだった。

そんなこんなでバラシたりラインを切られたりしつつ、20尾以上の魚とやりとりをして、10尾以上の魚をとり込んだ。最大は66cmで、それに近いサイズを他に何本もあげた。オスメス4本ずつキープして船着き場まで運んだが、重くて大変だった。足場は悪いし、ウエーディングシューズがヘタれて壊れてくたくたなので、余計に疲れた。
終日雨だったので、磯に座っておにぎりでも食べながらのんびりという感じもせず、ひたすらに竿を振っていたので、足腰もへたっていた。袖や襟もとから雨が侵入し、身体じゅうずぶぬれであった。
しかし、荒天であったからこそ、最後(と言っても、9時に釣りを止めたが)まで魚の喰いが落ちなかったのだと思う。


いい魚だなあ。

行きは5時間ほどだった道のりを、帰りは7時間半かけて仮眠をしたり魚を配ったりしながらゆっくりと帰った。帰って魚を捌いたり、料理したり、卵や身を醤油や味噌漬にしていたら、23時になっていた。

へとへとにくたびれた釣行だったが、瀬渡しで、人のあまりいない中たくさんのマスを釣りあげるという念願が、瀬渡しを利用し始めて11年目で、初めて達成できた。


次は、さわやかな晴天の日に、こんな釣りをするっていうのが、願いになりました。



7月29日〜8月5日 岡山、隠岐の旅

長編です。釣りは出てきません。よろしければ、どうぞ。

7月29日(月) 懐かしの祖母の家

岡山の備中高梁に暮らしている母親に会いに行った。
彼女に会うのは6年前ぶりだ。下の娘は初対面である。

子どもの頃、岡山の祖母の家に良く遊びに行った。
行くと祖母はいつも歓迎してくれて美味い物を食べさてくれた。
近くの川で釣った魚を料理してくれたりもした。




白桃と鮎とマスカットは、夏に行くと必ず用意してくれていた。

昔過ごした祖母の家は親戚の別荘となってしまっていて、誰も住んでいない。けれど、今回は特別に、私たちが行くということで、泊らせてもらえることになった。子どもの頃の思い出のたくさん詰まった場所だったので、とてもありがたかった。
かつては大きな敷地の屋敷だったが、今は建て替えられてこじんまりとした家になっていた。池が二つある広い庭と、3つの大きな蔵は、かつての面影を残していた。

夏休みに遊びに行くと、庭に涼み台を出し、そこで夕飯を食べさせてくれた。
食べ終わると台の上に布団を敷き、寝転がって天の川や流星を見た。
3つ学年が上の兄貴は天体に詳しく、私の知らないことを色々と教えてくれた。
いつの間にかに眠ってしまうと、母親が運んでくれたのだろう、朝には母屋で目を覚ました。




30年前も今も変わらず、庭にはバッタを取ってくるジガバチの仲間がたくさん住み着いていた。
小学生の頃ファーブル昆虫記が好きだった私は、ファーブルの観察した「かりゅうどバチ」が、この蜂と同じ仲間なのだろうと推測した。そして、自分がファーブルになったつもりで、何時間も観察した。

蜂はバッタを捕って巣に帰ってくると、必ず一度巣穴の前に獲物を置いて、自分だけ巣穴の中に入って中をチェックしてから、獲物を引きずり込んだ。

だから私は、蜂が穴の中を確かめているうちに、穴の横に置いてあるバッタをつまんで横取りしたり、奪ったバッタを他の蜂の巣穴の前に置いてみたりした。また、蜂が狩りに出ている間に穴を埋めて、元の場所がわからないようにしてみたり、巣に入っている間に生き埋めにしてみたりもした。

自分はファーブルになっているつもりなのだが、やっていることは残虐な好奇心と本能剥き出しの少年だった。いや、ファーブルもきっと同じだったのだろうと思う。

ともかく、そんなわけで、思い出いっぱいの岡山に、家族を連れて初めてやってきたのだ。


調べてみたら、クロアナバチという蜂だと分かった。

7月30日(火) 讃岐うどんめ、おぬし・・・。

この日は、香川まで足を伸ばした。
「讃岐うどんは本当に美味いのかツアー」だ。
結論から言うと、私はもう讃岐うどんの虜である。

最初に向かったのが、丸亀市の「よしや」だったが、ここは定休日。
次に向かったのが、坂出市の「がもううどん」。
ここのうどんがうまくてうまくて。あーくいたい。またくいたい。

だいたい私は安いものが先ずえらいと思っている。
今回行った「がもう」の讃岐うどん、一玉(小)の値段は130円である。
それで麺もうまいし出汁もうまい。
トッピングは80円するので、トッピングすると少し高くなってくるのだが、このトッピングもどれもこれもうまい。


平日でも結構並んでいた。駐車場も狭いが、そこに至る道も狭い。

私は初めて見た昆布のてんぷらとアゲと温泉卵をチョイスした。昆布のてんぷらは、昆布を煮てあるというか、出汁をとったあとの昆布なのかもしれないけれど、とにかく味の付いたやわらかい昆布をてんぷらにしてあるやつが丁度よい甘さでうまかった。


私は大二玉220円ベースに温泉卵、あげ、昆布てんぷらで460円だから、結構割高メニュー。


安いよねえ。羽田では、かけうどん一杯500円くらいだったよ。

ちょっと時間がなくて、何軒もハシゴが出来なくて残念だった。釜あげもしょうゆも釜玉も食べてみたい。ひやあつなる食べ方も試してみたい。開通25年にして初めて渡った瀬戸大橋も那須与一の屋島も、うどんに比べれば存在感が霞む。絶対にもう一度うどんツアーをせねばならないと誓った香川であった。


屋島寺や屋島の水族館にもよったけれど・・・。一応エビスさんとは写真を撮っておいた。

7月31日(水) 備中松山城 井倉洞

この日は、家の近所をまわった。
すぐ近くに備中松山城という城がある。
鎌倉時代から江戸時代を通して使われた城で、日本で一番高いとろにある城だ。


一番元気だったのは、下の娘だった。

駐車場から登り始めるが、暑さと急な坂道に、妻はダウン寸前であった。
そんな中、もっとも元気だったのが下の娘で、道すがらうじゃうじゃ現れたトカゲと団子虫におおはしゃぎであった。


幼体は尻尾が青い。

やっとの思いで城に辿り着いたが、平野にあるような立派な城ではないので娘もたいして感激せずであった。まあ、山自体が城のようなものなので、巨大な城を作る必要はないのであるが、そんなことは娘たちの知ったことではない。

かく言う私も、子どもの頃は、城の記憶などほとんどなく、ここで猿の群れに襲われたことしか覚えていない。ここいらは猿が多く、お菓子などを持っていると、人を襲うことがある。
子どもの頃、車に逃げ込んだら、ボンネットの上にまで登って来たことがあった。
この楽しい思い出話を娘にすると、下の娘はビビリ、ずっと猿を警戒していた。結局下山まで猿の姿はなかったのだが、後から調べると、最近は高圧線を張るなどの対応をしているそうだ。つまらん。


城自体はたいしたことはない。

40歳を越えてから城の説明うんちく看板などを読むと、あの頃ちっとも楽しくなかったことが、興味深く感じるようになっていた。長い歴史の中に色々な人間の悲哀があったことを読むにつれ、その頃に思いを馳せ、しみじみとするのであった。

などと言っては見たものの、下の娘がトカゲに興奮したように、私が一番興奮したのは、タマムシを発見したことだった。子どもの頃あれだけあこがれたのに一度として見たことのなかったタマムシに、初めて出会うことができた。崖の下の木の葉にとまっていたのでつかまえることはできなかったが、手に持ってじっくりと見てみたかったなあ。


あこがれのタマムシを初めてみることができた。


さらに、日本ミツバチVSスズメバチも見ることができた。

午後は、井倉洞というちょっと美味しそうな名前の鍾乳洞に行った。
洞くつ探検のようで、子どもたちが喜んだ。
何より、中が涼しいのが良い。


まあここも、わざわざ行くほどの鍾乳洞ではないような気もしないでもないけれど。

子どもの頃と同じように、鍾乳洞を出てからは目の前を流れる高梁川で水切りをして遊んだ。
魚の餌なるものが100円で売られていて、観光客が魚に餌をあげられるようになっていた。
きっと、昔からなのだろうが、川も汚れるし、そういうのはもうやめればいいのにと思った。

子どもの頃見た、餌めあてに川岸にうようよ集まっていた魚はなんという種類の魚だったのだろうか。今なら種類の判別もできるのに、その日は魚は見えなかった。

後で食べようと思っていた土産物屋の前で焼いていた鮎の塩焼きは、遊び終わったら店じまいをしていたので食べることができなかった。


この橋の上で、魚の餌が売られていた。

8月1日(木) 隠岐へ

大学の時の友人が、隠岐で漁師になったというので、会いに行った。
10年ぶりの再会だった。
その時は、ドイツで教師を辞めた彼が、ドイツのお土産をたくさん持って北海道の私の家に来てくれたのだ。お土産の一つの「トマト塩」は、つい数年前まで客が来るとトマトにかけて出していたし、オリバー カーンの怪しい日本語版応援歌(リンク切れする前に是非チェック)は未だ私の車でかかっている。
歌詞はこんなの↓

サッカーコートにみなぎる 熱いライフスタイルとヘアースタイル
優勝カップで飲み干す 汗の雫 サニーシャンペン
足首 太股 男の世界
(←ココが好き) 
人を寄せ付けない その名はオリーカーン
止まらないやつは、くじけないやつは
泥まみれのキャプテン 緑の海で
飛べるのさやつは 輝けよやつは
それでもたまには 赤いカードで ご退場

女も 酒も 麻薬も 賭も 他人の事
お腹はぺっちゃんこ ボールはまあるい(←ココも好き)
芝生が冷たいと 機嫌が悪い(←ココも好き)
高級車で飛ばす その名は オリーカーン
止まらないやつは くじけないやつは
泥まみれのキャプテン 緑の海で
飛べるのさやつは 輝けよやつは
それでもたまには うっかりやられる 得点

以下略

備中高梁から隠岐へはJRとバスと高速船で、5時間かかる。
夕方19時前、海士の菱浦港へ到着。迎えに来てくれていた友人の車で、そのまま民宿「但馬屋」へ。
美味い料理と、民謡と踊りでもてなされ、幸せな時間であった。


出された食べ物ほとんどが自給自足のものだった。


刺身は、クロダイが美味かった。


三味線と海士の民謡「キンニャモニャ」でもてなされた。キンニャモニャとはなんなのかも気になるが、後ろの魚拓も気になる。

8月2日(金) 漁と海

朝4時に上の娘と私の二人は、友人の漁船に乗せてもらうために宿を出た。
数人のチームによる、定置網漁だ。

その日は網の整備の日だったのだが、北海道からはるばる来た人がいるのだからと、一網だけあげてくれるということになったという。
漁を間近で見るのは初めてだった。
仕事を少しだけ体験させてもらったり、とれたてのイカを船の上で食べさせてもらったりと、貴重な経験をすることができた。


北海道とはまるで魚種が違う。タモアミの柄は竹でできており、とても重い。



船の上で捌いてくれたシロイカは、とても甘かった。

港に着いてからは、素晴らしい連携で、タイやイサキ、ハマチにヒラマサ、鯵、サバ、イシダイ、カワハギとたくさんの種類の魚が種類ごとに手際よく発泡スチロールに詰め込まれていった。魚を現場に直接買いに来る人もいて、この魚がこの値段!という驚きの安値で売買されているのを見て、とてもうらやましく感じた。近くにこんな港があったらな〜!



ホワイトボードに、ココで買える魚の値段が書いてある。ものすごく安い!


仕事はまだつづいていたが、友人に車を借りて、妻たちを旅館に迎えに行き、その日は1日中、海で遊んだ。午前と午後と2カ所の海に行ったが、水はきれいで魚は多く、サザエはそこらじゅうにゴロゴロしていた。



真鯛・イシダイ・クロダイ・ボラ・メゴチ・エイ・ホウボウなどなど、たくさんの魚が泳いでいた。


ササエを石でたたき割って食べたら美味かった。



隠岐牛。昼はこいつの牛丼を食べようと思ったら、売り切れだった。



だから「寒シマメ漬け丼」なるものを食べた。するめいかの肝醤油漬けだという。アタリだった。


一生分のサザエを食べたような気がした。ビールはベルギービール。


友人が捌いてくれた。イサキ。
イサキはこの時期、真鯛より高いそうだ。左が湯引きで右が刺身。どちらも最高!

8月3日(土) 西ノ島へ

この日は、友人夫婦が仕事が休みだったので、お互いの家族みんなで西ノ島に渡った。
隠岐は、大きく島前と道後に分かれており、空港のある大きな島が島後である。
少し離れた所にある島前は知夫里島、中ノ島、西ノ島という3つの島で構成されている。
友人が住む海士町は隠岐諸島の島前の中ノ島にある。
で、この日は午前中に、隣の島である西ノ島にフェリーでわたり、色々と案内してもらったというわけだ。


摩天崖からの絶景

摩天崖という海が見渡せる崖へ通じる道に、牛や馬が放牧されていた。
しかし、牧舎もなく、海と空とが柵のような果てしない緑の丘陵に自由に散らばる馬や牛たちが、果たして家畜なのかどうかさえわからなかった。

こちらでも牛や馬はいやというほどみることができるし、北海道の牧場もスケールはでかいのであるが、西ノ島の牛や馬と比べると道内のそれは大規模ではあるがしっかりと管理された牧場という感じである。



気持ちの良い風が吹いている崖の上の草はらをみんなで歩いた。
ぐるりと海に囲まれた崖の先端で
「海の色と空の色が混ざっているね。」
と娘が言った。


「海と空が混ざってる」と、娘が言った。




帰りの船までの時間つぶしに、港近くのホームセンター兼100円ショップのような店によった。
規模の小さい100円ショップなのだが、彼らにとっては船に乗らないと来られない場所だ。友人の子どもたちにとっては夢の場所で、最もテンションの上がる所なのだそうだ。

隣のスーパーで、ハマチとヒラマサの見分け方についてレクチャーを受けていたところ、地元のオバちゃんが話に割って入ってきた。「どう見分けるって?口のはし?いやあ、ぜんぜんわからんわー。ところであんたどこからきたん?北海道?北海道の方がいいとこたくさんあるだろうに、なんでわざわざ・・・。」とゆーったりと話をしてくれた。これもまたよし。


夜はビヤガーデンに行った。地元のバンドが熱唱していた。アットホームな雰囲気。

8月4日(日) 旅の終わり


早朝、友人宅のベランダに見送りに来てくれたアマガエル。

4人乗り軽自動車に、8人を乗せて、奥さんが港まで送ってくれた。
島にはパトカーはない。信号は、常に黄色の点滅をしているのが1機あるだけだ。
いいところだなあ。


島に一つしかない信号機


そしてその横にある、「カニ横断中」の看板

朝一番の船で海士をたった。
友人の子どもたちと私の子どもたちが次に会うのは何年後だろうか。
数年後かもしれないし、もう二度と会わないのかもしれない。
子どもらしく急速に仲良くなっていった彼らが、神妙な顔で「さようなら」と手を振るのが少し切なかった。

翌朝、岡山空港から羽田に向かった。ここでは母親と兄が見送ってくれた。
8日間の旅が終わった。


7月13日(土) ウミアメ パート2


水は澄んでいたが、少しうねりがあった。まあ、いい方だろう。

今期2度目のウミアメ釣りは、めずらしく早朝出撃だ。
でも、現場につくと何台か車がある。
そのうち、2台は知り合いの車。

電話を入れて、ゆっくり彼らの後を追う。
前回よりは良かったが、調子の良かったミノーをライントラブルで振り切ってしまってからはアタリも遠のいて、shinyaさんに追いついた時後からは、一匹も追加せずだった。


今回は、ウミアメらしい魚体の魚を何匹か釣ることができた。

前回の5倍の釣果となる、5尾をゲットした・・・。
いい釣りしたいなあ。